コトバびいき

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「人のことを顔で判断したりしちゃいけない」って強制の方が強くて、それを自分にすごい言い聞かせてた。本当は顔をみてパッといろんなことを感じていたのにね。なんかこの人つらそうだとか、この人はずいぶんと高慢だとか。 【ある高校の哲学的な一日 /國分功一郎】


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「人のことを顔で判断したりしちゃいけない」って強制の方が強くて、それを自分にすごい言い聞かせてた。本当は顔をみてパッといろんなことを感じていたのにね。なんかこの人つらそうだとか、この人はずいぶんと高慢だとか。 

【ある高校の哲学的な一日 /國分功一郎】

 

昔から人を見た目で判断しちゃいけないと言われて育ちました。

 

というか社会的に人を見た目で判断することって、

ダメなことだっていう認識が非常に強いですよね。

 

なんとなくそういう雰囲気に流されてきたもので、

「人のことを見た目で判断している人が他にもいたんだ」

って感情がこの言葉から感じた純粋な気持ちでした。

 

かつ、見た目で人を判断することを肯定的に仰っている人もそう多くないので、

そこも新鮮だったのだと思います。

 

 

前々から思っていたのですが、

見た目で判断していない人など本当にいるのでしょうか?

 

恋愛で言えば

見た目が嫌いな人と付き合っているなど聞いたことありません。

あまり好きでない見た目の人と付き合っている人はいるかもしれませんが、

それらはどこかに妥協があり、それを肯定するために、

「人は見た目じゃない」などと言っているのではないでしょうか?

 

そもそも、見た目の好き嫌いって人類共通ではないですよね。

当然「かっこいいとされやすい顔」「かわいいとされやすい顔」

などはありますが、人によりそれは多少異なります。

 

つまり、同じ見た目でも人それぞれでどう感じるか違うということですよね。

ってことは見た目によりその人をどう感じるかは、

安易な判断なんかでなく、人間を見極めるための重要な指標の一つだということだと思うんです。

 

 

 

同じような顔をしている人でもなんとなく好き嫌いの優劣ってつけられますよね。

 

これって、実は合理的に細かな判定基準があるんだと思います。

なんとなく「好き」「嫌い」という言葉でまとめてしまっているので

なかなか気づかないだけで、些細な表情の動きや、口角の上がり方

目のやりどころ、顔の筋肉の動き方、まばたきの多さ・・・

 

何を言いたいかというと、

結局のところ見た目で判断するということは、

かなり合理的に人を経験などから判断していると

言える可能性があるのではということです。

 

 

 

最近仕事で面接などに入ることもあるのですが、

やはり第一印象の好き嫌いは結構当たります。

 

第一印象が、正直良くない男性がいたのですが、

話してみると仕事上の知識が幅広そう。

 

そうすると少しバイアスがかかります。

もう一人の面接官はかなり高評価をしている。

人当たりも悪くなさそう。

 

そうすると完全にバイアスがかかり、

そもそも第一印象のことはほぼ忘れてしまい、

悪くないかもと思ってしまった。

 

そして一緒に働くことになった。

すると、知識についてはただ「知っている」だけ。人のせいにする。

自分の業務を管理できない。文句だけはいう。

 

というような人でした。

最初の「なんか嫌だな」を歪めてしまった結果起きてしまったことでした。

 

 

 

顔に限ったことではないのですが、

人の本当のところは意識すらしないような細部にこそ現れる。

 

それを僕らは見た目とか、第一印象という形で感じる。

 

実は凄く精度の高い判断ツールなんです。

(もちろんそれだけで判断できないのはそうだと思うのですが。)

 

だからこそ、「なんか好き」「なんか嫌い」など、

抽象的にまとめた言葉を分解して、

しっかりと「言語化」しておくことが必要なんだと思います。

 

 

【ある高校の哲学的な一日 /國分功一郎】