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何かにならなきゃ、退屈で、生きていけねぇよ【左ききのエレン】


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何かにならなきゃ、退屈で、生きていけねぇよ

 

【左ききのエレン】

 

ちょっと前後関係分からないとしんどいかもしれないですが。笑

 

何者かになれる、もしくはなりたい願望ってどこかにありませんか?

既に諦めていたような、そんな言葉は恥ずかしいので言わないだけのような。

 

学生時代は何者かになれると思ってました。どこかで。

 

何か奇跡のようなことが起きて、

誰かに見定められて、とんでもない主人公のような生活が始まっちゃうんじゃないか。

 

そんなアホな期待をしていたものです。

ちゃんとした人はそんなことないんですかね?笑

 

大人になるにつれ、自分の実力もわかるし、だいたいできそうなこと、無理そうなことなどもわかってきてしまう。

でもどこかでこの退屈な日常を打破するような、奇跡的な出来事を期待しているし、

まだどこかで誰かに見定められて、劇的なことが起きるんじゃないかって

思ってしまう自分もどこかにいる感じがするんです。

 

 

 

ところで、主人公になりたい願望みたいなものは本当の欲求なんでしょうか?

 

本当の欲求っていうのは、自分が心から欲しているもののことです。

 

一方で社会からの教育により「欲しいと思わされているもの」を

僕は「偽の欲求」だと考えています。

 

例えば家を買うこと、これはおそらく偽の欲求だと考えています。

 

様々な手を使い家を買うことはいいことだと、

至る所から念仏のように教え込まれますが、

数千万という借金をするのはやはりまともなことではないです。

 

それに、生活の状態というのは常に変わりますから、

個人的にはその時々であった場所や、大きさの家に住むことの方が正しいと思うんです。

 

つまり「家を当然買うべきだ」みたいな思考は植え付けられたものだと考えます。

 

じゃあ主人公になりたい願望はどうなんでしょうかね?

これも僕は「偽の欲求」だと考えています。

 

小さい頃からのドラマや、漫画など様々な場面で、

僕らは特別である登場人物ばかりを見せられていきます。

 

そのほか、経営者なんかも素晴らしいものとして紹介されるものですから、

やはり特殊であったり、他の人と違う経験をすること、

要するに何者かであることがいいことだという植え付けがあるんだと思います。

 

これらのような生き方自体は一つの形であって、

全く問題ないし、羨ましいことであるとも思います。

 

一方で、そうでない幸せな人だっているわけですよね。

 

のんびり毎日を幸せに過ごしている人だっているし、

普通にサラリーマンをして楽しく過ごしている人だっている。

 

更に言えば、特殊なことをしている人の中には、

いくら稼いでいても幸せでない人もいる。

 

つまり、誰かに植え付けられた嘘の感情なんかに流されず、

自分で本当に楽しいとか幸せだと思えることが何か。

それを見つけない限りはどのみちどこか退屈だし、

多分幸せにもならないんですよ。

 

 

 

 

なので私は今言語化することをすごく意識しています。

 

自分が何を楽しいと思い、何を辛いと思うのか。

抽象的に「なんか楽しかった」だと再現性がないんですよ。

 

逆に言語化さえできてしまえば、

つまらない日常だってなるべく楽しく、

なるべく辛いことを避ける方法論だって見つかってくると思うんです。

 

あと、面白いこととかをなぜ面白いか話せる人って、

話聞いてても面白いし、かっこいいじゃないですか笑

 

【左ききのエレン】