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なんでこんなに大声出してんの?他人の努力の結果で酒飲むなよ。お前のことじゃないだろ。これは俺の感動じゃない。【ブルーピリオド】


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なんでこんなに大声出してんの?他人の努力の結果で酒飲むなよ。お前のことじゃないだろ。これは俺の感動じゃない。

【ブルーピリオド】

 

ずーっと人生に虚無感を感じていたんです。

 

ライブとかに行っても楽しいんだけど、

周りみたいに心からただ「楽しい」でいっぱいになれない

 

ワールドカップを見ても、心から没頭できない。

 

なんでかなーって思ってたんです。ずっと。

 

この言葉を聞いて思ったんですが、

「自分の感動」じゃないからかもしれないです。

 

 

 

結局のところ、他人の背中に乗った結果に一喜一憂することに

虚しいと感じていたのかもしれません。

 

別に自分がしたわけでもない努力だし。

その結果でこの生活の何が変わるでもない。

 

一方で自分の背中にちゃんと乗った過程と結果なら

どんなに小さいことでも結構充実感があるんですよね。

楽しいかと言われると悩ましいところはありますが。笑

 

そもそも「楽しい」っていうのは社会性をはらんでいる気がして。

 

何十年か生きていく中で「楽しい」ってこういうもんですよって、

教えられてきた気がするんですね。

 

で、個人としての本当の意味での「楽しい」は多分別のところにあって

 

前者を「楽しいA」

後者を「楽しいB」

 

とします。

 

「楽しいA」は教えてもらったものなんで、

この社会で生きる人にかなり共通なんですね。

 

「楽しいB」はその個体ごとに感じる特有なものなんです。

 

そして本質的には「楽しいB」を追い求めるべきなんです。

 

でも、例えば「楽しいA」に近いことをしているので、

表層的には「楽しいはず」ってなるんですが、

自分の本質的には楽しくなかったりするので、

虚無感に繋がったりするんだと思うんですよね。

 

そもそも「楽しいA」と「楽しいB」が近い人は、

人生を普通に謳歌できるんだと思います。

(ただ本質的な楽しさとのギャップは少なからずあるのでどこかで辛くなるかも?)

 

問題はAとBがかけ離れている場合です。

 

この場合はストレートにいくと人生は楽しみにくいです。

そして楽しくないことにも気づいてしまったりするんですよね。

 

その場合は表層を「楽しいB」に寄せなければならない。

 

そのためには自分という個体が感じる本質的な「楽しさB」を

自分自身でしっかりと理解していなければならないわけです。

 

多分この言葉はこのAとBのギャップに気づき始めたことによって

苦しみだした時の一番最初のモヤモヤなんではないかな?

と思うんです。

 

この葛藤が見えてしまったら人生はきついけど、

何かが見えた時、その人はとても素敵な人になるのだと思います。

 

【ブルーピリオド】