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誰かが何かひどいことをした時は、その人物をその方程式から外してみる。【道は開ける/カーネギー】


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誰かが何かひどいことをした時は、その人物をその方程式から外してみる。結局のところそういった人たちの問題でなく、自分がどうするかになる

 

【道は開ける/カーネギー】

 

 

カーネギーさんの著作にあった名言だったはずです。

度々記憶が曖昧で申し訳ないです。。笑

 

人が何かに怒りを持つとき、

大概はその対象となる人がいてその人がきっかけとなり

怒るというのが通常の流れであると思います。

 

こんなのは説明する必要もない話ですが。

 

では一方でその対象となる人を方程式から外す・・?

 

最初は意味がわかりませんでした。

その人がいて初めて起こる事象であり、

そのせいで怒っているのにもかかわらず、

その人を方程式から外せというのですから。

 

しかしです。こういうことです。

そこに人が介在するから怒りが湧くわけです。

 

例えば、池でボートを漕いでいるところで、

他のボートがぶつかってきたとすると、

どこみて運転しているんだと思いますよね。

 

ですがそれが無人のボートだった場合は、

特に怒りというのはわかないはずです。

 

(まぁこんなとこにボート置いといたのは誰だっていう、

 怒りを持つ人もいるとは思いますが。。)

 

どちらにしても前者に比べて

大きな怒りを持つ人は少ないと思います。

 

要するにそこに人が介在するから怒るわけですが、

その事象自体はそもそも怒るに足る事象ではないのです。

 

面白いですよね。

 

多くのことはそんなもんなんですよ。

何か怒った出来事を思い出せたら思い出してみてもらうと、

より具体的にイメージをすることができると思います。

 

多くのことは怒るに足る事象でないことに。

 

もしすぐに方程式から人を外すことができるようになるとすれば、

多くの場合においては冷静でいられることでしょう。

 

怒るかどうかは実は自分次第。

全ては自分の内側に介在することだと思うと

なんだか怒ったり感情を荒げたりするというは

とても恥ずかしいことのようにも思えてきます。

 

そこまで冷静にみた時に本当に怒る必要があると思えば、

選択肢として怒ればいいのです。

 

【道は開ける/カーネギー】