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幸せは相対的なもの【桜井和寿/Mr.Children】


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幸せは相対的なもの

【桜井和寿/Mr.Children】

 

 

 

この心に残る言葉は

 

Mr.Childrenの桜井さんが

ダイノジの大谷さんのラジオに出ていた時の言葉です。

 

なんだかグッと刺さった言葉でした。

 

別に既に社会にいくつも置かれた言葉ではあると思うんです。

でも言葉って得てしていつ聞くか。

誰から聞くかだと思うのですよ。

 

聞く相手によってはチープに聞こえていたかもしれないけど、

桜井さんからふと発せられたこの言葉の深みに魅せられたわけです。

 

今更私がいうまでもないでしょうし、

こういった言葉をもっとかみくだいて

自分に落とし込んでいる人も多いことだと思います。

 

恐らく私の噛み締め方はまだまだ浅いと思います。

 

でもこういう心の動きを大切にしたいんですよね。

 

相対的な価値なんですよね。

ず〜っと高級フレンチを食べていたら、

それを美味しいとすら思わないと思うんです。

 

たまにしか食べることができないから

そこには貴重であるという価値が上乗せされているんです。

 

きっとラーメンが一杯1万とかになったら、

今の高級フレンチのような位置付けになるんですよ。

 

希少であるがゆえにそれを食べること自体がステータスになり、

滅多に食べることができないからラーメンが持て囃されるわけですね。

 

このように物事に対して絶対的な評価なんてくだせないんです。

 

そして有形物ですら相対的な評価しかできないのだから、

無形物である人の心に対して絶対的な評価をするなんて余計に無理な話なんですよね。

 

でもなんでですかね?

幸せという絶対的な価値があり、

不幸という絶対的な価値があるような

錯覚を人はしてしまいます。

 

現に僕もしてるんですよね笑

 

例えばお金があると幸せになれる気がしている人は結構多いと思います。

しかし、その論点だと発展途上国に住む人は皆不幸で、

先進国に住む私たちはみんな幸せでないといけなくなるんですよね。

 

でもそうでないことは誰しもが分かっている。

 

不思議なもんです。論理的には分かっているのに、

自分ごとになると冷静で客観的な判断ができなくなってしまうのですからね。

 

ともあれ「幸せな状態」っていうのはないってことですし、

それが相対的なものである以上、

ずっと幸せってこともないんですよね。

 

必要以上に不幸をかみしめる必要もないのですが、

僕らが幸せに生きるためには不幸という状態が絶対必要なんですよね。

 

だから不幸というのを客観的に見て、

これは幸せになるために必要なことなんだよなって。

冷静に感じることができたらいいのではないかと思うんです。

 

不幸は必要ですし、

幸せに置き換えることもできませんが、

どちらもそれ自体を楽しむということは可能だと思うんですよね。

 

そう考えると、

楽しむということだけは絶対的な価値観なのかもしれませんね。