コーラを甘くした。目隠しをした被験者は十中八九それを美味しいと言った。実際に製品を置き換えたところ「コカコーラを飲みたいんだ」ととてつもない反発を受けた。
この心に残る言葉は
という本の中で紹介されているエピソードです。
アメリカでペプシコーラが勢いをつけてきた時に、
コカコーラは甘いから受けているのだと判断しました。
それを確認するために、
既存製品と甘くした改良版を
目隠しした被験者に飲ませました。
すると被験者はほぼ例外なく改良版が
美味しいと言ったそうです。
しかし現実はどうでしょう?
実際にその製品を既存製品から置き換えたところ、
エンドユーザーからはとてつもない反発を受け、
俺たちのコカコーラを返せと言われたそうです。
美味しいもの、いいものを作れば売れるというのは
作り手側の妄想でありエゴだったんですね。
製品の良し悪しに左右される部分は
一定ラインでは存在するものの、
それらを極めることがイコール
エンドユーザーの求めるものというわけではないのです。
しかしここで難しいのはエンドユーザーは表面的には
最高の製品と味を求めているような顔をするのです。
だから表層的な声を鵜呑みにしてはいけないのでしょうね。
それをどう見極めるかはかなり至難の技ですが、
少なからずそうでない可能性というのを常に見続ける必要があるんですよね。
そのものの価値が本当はどこにあるのか?
これも常に考え続けなければならないことのように思います。
コーラの良さはそのブランドであって、
最高の味ではないのですからね。。