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申し訳ない気持ちになるんですよ。側が変わっただけで本音は何も変わってないから。【社会人大学人見知り学部卒業見込/オードリー若林正恭】


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申し訳ない気持ちになるんですよ。

側が変わっただけで本音は何も変わってないから。

  

【社会人大学人見知り学部卒業見込/オードリー若林正恭】

 

 

で出てきたオードリーの若林さんの言葉です。

 

若林さんを著書やテレビ、ラジオなどで見て少しでも

知っている人なら生きづらい人なんだろうなと想像できるんと思います。笑

 

著書の中ではとにかく不器用な生き様が記されています。

 

いろいろなことが周りと同じようにできなかった中で、

徐々に成長(?)して、昔だったら拒否していたような行為を

建前としてできるようになる。

 

そしてそれを周りに成長したねと褒められる。

でも本音を言えば何も変わっていない。

 

その言葉に何だか申し訳ない気持ちになる。

 

こんな経験ってみんなあるんじゃないんでしょうか?

 

本音では昔から変わっていないとか、

少し角度が変わったくらいなんてことも多いですよね。

 

人って多分そんなもので。

 

別に周りからすれば、

そんなのどうでもいいんですよね。

 

そもそも言えば側が変わったことを

褒めている可能性すらあると思っています。

 

「よく自分の気持ちを押し殺してちゃんとできたな」

 

そんなニュアンスが往々にしてあるのではないかと思います。

 

社会とは相手や環境への協調を考える。

自分の気持ちを時には押し殺して、でも譲れない部分は譲らない。

 

その線の引き方と線を引く位置の問題だと思っています。

 

本音があって

そのままぶつけるだけだったら子供。

本音の内容をはどうあれ、

それをどう加工して外に出すかを考えるのが成長。

そんな気がします。

 

ちなみに若林さんがこれをスタッフの方に言った時に、

そんなことわかっていると笑われたそうです。

 

周りはよく見ているんですよね。

 

 

【社会人大学人見知り学部卒業見込/オードリー若林正恭】