被害の規模が大きかったからってだけで、例えば「全力で走った」って書いたら全力で走れない人を傷つけているかもしれない。傷つけないのは無理だから、そこに無自覚でいたくない。
西加奈子さんが言っていた言葉です。
私オードリーの若林さんが好きで、
その繋がりで西加奈子さんを知ったんですが、
本当にクレイジーでピュアで面白いんです。
なかなか作家さんがナチュラルに話している
姿って見ることないのでこの本はオススメです。
そんな中で西加奈子さんがこんな素敵な言葉を。
東北の地震とか、非常に大きな災害が起きた時、
やたらと自粛ムードが漂います。
テレビでお笑い番組がやらなかったり、
やたらと言葉に敏感になったり。
サザンオールスターズのTSUNAMIなんかも
一時期歌われなくなってましたが、
まさにそういったことの一環です。
もちろん被災者を思うことも大事かもしれませんが、
一方で該当事象とは全く関係ないところで作られた、
ある言葉や作品、感情などに対して、
不謹慎とかって言い出したらきりがないし、
それを言ってるのって関係のない誰かだと思うのですよ。
まぁ本当に傷つく人もいて、
でももしかしたらそれで救われるかもしれない人もいて。
ふつうの言葉と感じるけども、
「全力で走った」と書けば全力で走れない、
身体に障害のある方を傷つけるかもしれない。
言葉には力があるが、
一方で言葉には人を深く傷つける可能性もはらんでいます。
でも万人が絶対傷つかない言葉なんてほぼないし、
あったとしてもそんな言葉にはほぼ価値がないのですよ。
だとすると言葉を発する人は、
傷つけない言葉を探すということよりも、
その言葉を発することの責任をしっかりと感じて、
清濁合わせて受け止める勇気を持たなければならないのではないかと、
強く感じさせられた言葉でした。