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常識という言葉が使われる場合の多くは、「なぜそうなのかを自分の言葉で説明できない時の逃げ場として用いる」【考える練習帳/細谷功】


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常識という言葉が使われる場合の多くは、「なぜそうなのかを自分の言葉で説明できない時の逃げ場として用いる」

 

【考える練習帳/細谷功】

 

という本にできた言葉です。

 

よく考えてみると「常識」という言葉ほど

怪しい言葉はありません。

 

今の世で「常識」とされている「個の尊重」という価値観は

戦時中であれば全く対角の位置にあり、

むしろ真っ先にないがしろにされるべき価値観でした。

 

そして時代では共通のものとして存在しているものかと思えば、

そういうわけでもなく国が変われば全く違う価値観が

存在しているわけです。

 

日本では一夫一婦制が常識でそれが美しいものとされていますが、

ある国に行けば一夫多妻制がありそれが常識であったりするわけです。

 

国レベルでなくても価値は変わります。

地域、都道府県、はたまた所属する会社、

もっと細かく見れば家族単位で常識があったりします。

 

常識というのは論理的に説明できないものです。

 

所属するコミュニティにおける多数性や習慣により決まってしまうという

恐ろしい性質を持っています。

 

そしてそこに疑問を持ったとしても

「それが常識だから」という答えにならない答えで

相手を押さえつけることがまかり通るのですから不思議なものです。

 

そんな常識という言葉への漠然とした不安というか

思いというか・・そんなものを明確な解として

言葉にしてくれた気がしています。

 

【考える練習帳/細谷功】